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「全てのお客様に世界の見方がちょっと変わるような宿泊体験を」沖縄移住後、ホテルを経営する江本社長と奥様にインタビュー!

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今回は沖縄に移住しホテルを経営する江本社長と奥様の文子様にインタビューさせていただきました!

【江本 祐介】

1977年生まれ 横浜出身
早稲田大学(政治経済学部)卒業後、通信キャリアに就職。法人営業に6年間従事。結婚、沖縄移住とともに沖縄の観光メディア企業に転職。旅行予約サイト部門のマーケティングマネージャーを務める。

【江本 文子】

1978年生まれ 横浜出身

玉川女子短期大学幼児教育科卒業後、私立幼稚園に勤務。退職後、ワーキングホリデー(オーストラリア)へ。帰国後、調理師学校夜間部へ通い調理師免許を取得。同時期にクッキングスクールにてパン講師資格を取得。結婚、沖縄移住後、那覇でインターナショナルスクール幼稚部に勤務する。(資格幼稚園教諭第2種・調理師免許・パン講師資格)

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まず、学生時代のことをお伺いします。大学生のころはどのような世界を送っていましたか?

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早稲田大学の政治経済学部に入学しました。当時の早稲田の学生はちゃんと勉強している人と勉強よりもプライベート重視という人がいて、僕は後者でした笑。学生は長い休みがあるので、バイトで貯めたお金を全部持って海外に出かけていました。当時はそういう学生が多かった気がしますね。バイトして海外行って、帰ってきたらまたバイト行って、大学の友達と飲む、みたいな生活でした。

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​海外いいですよね。印象深い国はどこですか?

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初めて行ったところがトルコだったんです。友達に誘われて2人で行ったんだけど、友達が急に体調を悪くして1人で帰っちゃったんです。突然トルコで一人旅をする状況になって。トルコのことも全然知らなかったし、初めての海外旅行としてはあまり行かない国だけど、せっかく1人で残されたから楽しもう!と思ってあちこち回るうちにハマってしまって。その後は定期的に海外に行くようになりましたね。何も調べずに行って、日本の大使館に「情報ください。」って訪ねるんです。いつも英語圏とは限らないので、身振り手振りでコミュニケーションを取りました。

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初めての海外ですごい経験をされましたね!私も外国語学部で沢山海外に行く大学生活を想像していたんですけど、コロナの影響でダメでした。奥様も海外旅行をされていたんですか?​

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私は幼児教育科の学生だったんです。学科で海外の小学校を回るプログラムがあって、ネパールに行きました。最後には日本が恋しくなったけど、思い出としては心に深く残っていますね。電気も見づらいとこでテント生活するんです。日本とは全く異なる世界を見たことが自分にとって衝撃的な体験で、もう1回海外に住んでみたいという気持ちが、心のどこかにありました。でも幼稚園の先生もやりたいっていう気持ちもあったので、4年ほど幼稚園の先生をやって、一通り区切りがついた時にワーキングホリデーを使って、オーストラリアに行きました。オーストラリアを1周した後、パースという街に滞在しました。

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実は私も家族旅行でパースに行ったことがあるんですが、素敵な街ですよね。

旦那様もご一緒ですか?

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そうです。就職4年目の確かゴールデンウィークの頃にパースに2週間滞在しました。実は、沖縄に住み始めたきっかけがパースなんです。パースの2週間滞在したイメージがずっと残ってて、「ああいう暮らししたいな、ああいうとこに住みたいな」っていうのがずっと頭にありました。

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なぜ沖縄北部の今帰仁(なきじん)村を選ばれたんですか?

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実は僕たちが沖縄に来る1年前に両親が移住していて【マチャン・マチャン】という宿を始めたんです。旅行で訪れた今帰仁の雰囲気や海を気に入って、土地も旅行中に買ってしまったそうです。

でも、両親と一緒に宿をやるのも面白くないなと思って、最初は那覇に住んでいました。幼稚園の先生をやっていた妻はインターナショナルスクールで働き、僕はウェブメディアの会社に勤めていました。3年ぐらいそんな生活をしながら沖縄のことを勉強していました。その頃、両親たちの宿は順調で、隣の土地を買えることになり私たちが購入することになったんです。ちょうど妻が妊娠中で、子育てするならヤンバル(沖縄の言葉で「北部」)がいいねって話していて。今帰仁に引っ越すことにしました。

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​ヤンバルを選んだ理由は何でしょうか?

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何よりも先にパースのイメージがありました。田舎に住みたいな、子育てを田舎でやりたいな、と思ってて。両親がいなかったら、もしかしたら南部に住んで、那覇の職場に通ってっていう生活をしてたのかもしれないですね。

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そこから、なぜホテルを立ち上げることになったのでしょうか?

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僕も妻も、旅行で世界を見て帰ってきて、ちょっと気持ちが変わるとか、何かに気づけたみたいな体験があって。同じことをお客さんに提供したい、ホテル業が合ってるかもしれないって思うようになったんです。自分たちの思いとかやりたいことを、ぎゅっと詰め込んで実行するのが、意外と楽しかったんです。それに、自分たちが子供と連れて旅行行こうってなった時に、当時あまりファミリールームがあまりなかったので、親子が泊まれるようなホテルを作りたいっていう思いもありました。妻は幼稚園の先生だったし、子供が喜んで、大人も満足する場所ができたらいいなって。

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素敵なきっかけですね!そんな思いが込められた、このホテルの魅力を教えてください。

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何といっても、海が近くて眺めがいいところですね。夏になるとあっという間に予約開始と同時に満席になります。2人しかいないし、1日1組が来たいと思ってくれるような宿にしたいっていう気持ちでやっているので。お客さんとの距離感をつかむのも、面白いなって。その日の1組にしっかりと向き合って、「つかず離れず」なサービスを提供しています。

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コロナの影響は、やっぱり大きかったのでしょうか?

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そうですね。急にお客さん来なくなっちゃって、コロナ禍入ってすぐに2ヶ月ほど休業しました。3年経って、やっと客足が戻ってきましたね。経済的にはいろんな補助やGoToトラベルのような需要喚起策があったので、売上がゼロになることはなかったです。それよりも、お客さんとどう接するべきか、とても悩みました。例えば、昔からの常連さんだと、うちの子どもたちと仲良くなって、自然と一緒に海で遊んだりBBQをしたりすることもあったんです。そういう極端な例は多くはないですが、でも宿主とお客様、大人と子供が交わるような関わり方ができなくなっていって、小さな宿にお客さんが求めていることが提供できていのではないか、、と悩みました。そういう状態が3年も続いたのが辛かったですね。

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人の出入りが少ない地方では、コロナ禍になってから観光客に対する目が厳しくなったと思います。地元の方の反応はどのようなものでしたか?

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「村外の方はご遠慮ください」という張り紙を貼ってる店があって、お客さんは県外や村外から来るのにこれはまずいな、と思っていました。ここでしか出来ない体験をしたいと言うお客さんも結構来てくれるんですよ。来ていただけるのはすごく嬉しいけど、村にウイルスを持ち込んでほしくないし…。

この課題に対して、どんなことをやっていきたいですか?

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今回はお忙しいところ、ありがとうございました。世界が広がるような体験をお客様に提供したい、という思いが素敵だなと感じました。次回はぜひ宿泊客として伺います!

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外部と内部の板挟みになる観光業者は難しい立場にありますよね。現在もホテルを経営されているということは、今後ずっと沖縄に住まれるのでしょうか?

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今のところは、関東に戻ることは考えていません。やっぱりずっと沖縄にいよう、沖縄だからこそできることをやって、たまに関東に行って。なるべく子供たちをあちこち連れていきたいなと思ってます。生活と仕事は分けたいので、田舎と都会と両方行き来する生活をするには、やっぱり小規模の方が融通が利くかな、と思って。

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民宿で雑貨の販売をしているとお聞きしましたが、なぜ雑貨を扱うようになったのでしょうか?

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オープン前に宿で使う器を探していてその時に知り合った作家さんの食器を販売しています。当時は皆さん掛け出しだったんだけど、今は売れっ子だから入荷1、2年待ちのも作家さんもいます。東京や大阪で個展開いたり、BEAMSに出品していたり、すごい作家さんたちなんですよ。うちの開業と作家さんの独立の時期が重なってたからこそ、できたことですね。

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雑貨売り場は元々朝食を食べる部屋だったんだけど、コロナになってから朝食は部屋で提供するようになったので、たまたまスペースが空いたんです。雑貨お客さんからかなり好評を得て、コロナ渦では作品をオンラインで販売しますようとサイトを立ち上げました。宿泊のお客さんだけじゃなくて、なんか外来のお客さんも使えるようにしたいと思って。外来のお客さんが宿泊客として来てくれるきっかけになればいいな、と思っています。

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面白い試みですね!さらに今後やってみたいことはありますか?

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子供が成長するにつれて、部活や勉強が忙しくなって、家族旅行の機会が減ってしまって。元々、赤ちゃんを連れた家族がゆっくりできる場所を提供したいうと思っていたけど、今は、中学生、高校生が来て体験できる場所にもなったらいいなとも思います。いろんな世代の人が楽しめる、そういう宿に今度はしていきたいです。

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ただ部屋と絶景だけを提供するんじゃなくて、これからは、さらにその1歩先の先ぐらいの体験、帰ったあとに、何か人生が変わったみたいなところまで提供できたら、いいかなと思って。心に残る何かを届けたいと思います。

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ホテルや旅館で働くことに憧れる学生も多いと思いますが、観光業の課題にはどんなものがありますか?

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観光業は、平日は暇なのに土日祝と夏は忙しい。繁忙期と閑散期の落差が激しいことが魅力的な職業になれない原因になってるんじゃないかなと思っていて。しかもウイルスに影響されたり、安定しないっていうのもあるから、お客さんの流れが平準化できることを常に考えています。

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多様な働き方が認められ、オンライン教育も普及していますが、平日に会社や学校を休むのはまだまだ難しい世の中ですよね。

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そうですね。学生が平日休めるとか、地域ごとに休みが違うとか、そういうきっかけ作りができたらいいなと思って。コロナ前に韓国のお客さんがよく来てくれてたんですけど、お客さんの話を聞いてると、韓国の小学生は平日に休んで旅行しても、感想文とかレポート書いたら休日扱いにならないって仕組みがあるみたいで。

 

異文化を体験することも、勉強の1つじゃないですか。小学生、中学生とかにはどんどん知ってもらいたい。その経験は必ず自分の財産になります。田舎に住んでると、田舎から出ないと地元の良さに気づかない。逆に東京にずっといるだけでは気づかないことがある。中高生だからこそ、知らないところへ行って、年の離れた大人と喋ったり、新しいものに触れたりする機会が必要だと思います。

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この課題に対して、どんなことをやっていきたいですか?

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まずは小さなことですが、中高生との家族旅行を気軽にして欲しくて、中高生も子供料金で泊まれるようにしています。また、中学生の職場体験を受け入れたり地域の教育現場にも積極的に協力しています。

今後は、旅行でくる中高生にも、都会では経験できないような宿のお仕事や田舎暮らし体験などにも取り組んで行けたらいいなと思っています。

住んでいる地域や生活環境の違う人、言葉や考え方が違う人に出会った分だけ、自分の世界は広がっていくと思うし、そういう体験をお客さんにも提供していきたいです。

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今回はお忙しいところ、ありがとうございました。世界が広がるような体験をお客様に提供したい、という思いが素敵だなと感じました。次回はぜひ宿泊客として伺います!

​取材先:合同会社ひとつやどおきなわ

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合同会社ひとつやどおきなわ

2010年に個人事業主として「tinto*tinto」を開業。小さなお子様も泊まれるオーシャンビューの宿として好評を博し、2020年に「合同会社ひとつやどおきなわ」として法人化。2021年には開業当時から扱っている地元作家さんによるやちむん等のEC販売事業を開始。2023年には海を望むテラスでのパーラー事業の開始を予定している。

この記事を書いたライター

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田畑 咲紀

拓殖大学外国語学部3年生。

スポット社労士くんで1年生からインターン生として働いています。

​趣味は旅行とスポーツ観戦です!

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